時流を読む「株式会社ミュートス」のヘルスケア領域におけるIT戦略Ⅱ

■株式会社ミュートスのヘルスケア事業が誕生した流れについて
業界における背景・及び創業から現在までの株式会社ミュートスとしての事業戦略について、代表取締役 佐藤正晴氏に更に深くインタビューをしてみた。
創業時、まだ多くの情報サービス会社は大手SIerの傘下にBP会社として言わば下請け企業として事業展開をしている会社が数多くあり、小さな規模ではあるが、独自の商材・プロダクト・サービスを有している開発会社が産まれてきた黎明期でもあったが、情報サービス会社が独自のサービスやプロダクトを担いでいる企業は現在でもまだまだ多くはないのが実情であるという。経営の視点で見るSESの最大の魅力は、毎月安定的に売上・利益が確保でき、資金繰りに余裕が持てること。逆の言い方は、経営者に危機意識が薄れ、受け身になってしまい、多くの情報サービス会社は技術者派遣に特化した会社になってしまい、社員の帰属意識の低下による離職率の増加・それに伴う企業収益の低下、更に利益率の急激な低下を生じさせ企業そのものの継続性に疑義が出され、倒産・M&A等の顛末に至るケースが増えていると言う。特に情報サービス業界が日本に誕生してから約半世紀になることから、バブル以降に次々と生まれた老舗企業やそこから暖簾分けをした企業などが生まれ、未上場の企業の多くが特に近年は創業者の高齢化に伴い、後継者不在などの問題を抱え、M&Aの対象物件会社として売りに出されているなど話しも多く聞かれる様になった。IT業界全体で見ると、インターネット技術を活かした新しいビジネスが雨後の竹の子のように誕生し、ITバブル以降も独自のサービスを展開しているSNSやe-コマース・ゲーム等の事業に特化した企業が知られ、成長著しいところも数多く誕生しているが、サービスそのものを開発することを専業とする情報サービス会社は「成熟産業」として前出の通りである。つまり、事業モデル=商材・プロダクト・サービスそのものを産み出し、世の中に送り出すマーケティング力・営業力・企画力のある企業がその存在価値を見出し、生き残る時代に突入したといえよう。SNSやe-コマース・ゲーム等の事業に特化した企業等も誕生してから約20年位の歴史となっているので、「ITベンチャー=若手経営者=イケイケどんどん」などの図式は当てはまらなくなってきている。

株式会社ミュートスは2006年8月に社員3名でスタートした大阪が本社のITベンチャー企業であり本年で創業10年目に入る。スタート時はSESを軸に技術者の増加拡大と共に経営基盤が安定化するまで行い、1年後には社内受託方式に事業転換を急激に進めてきた。大きな転換を判断したのは製薬企業向けのSFAシステムの成功を期に、そのSFAの著作権等の権利義務を株式会社ミュートスに帰属させそれをテンプレート化すると共にファーストユーザーの協力もあり横展開に短時間で成功したことが現在の礎を築いたという。従って約2年目にはSES事業からほぼ完全に撤退し、完全受託会社・100%自社開発・自社プロダクトを有する企業に転換することが出来たというわけである。その後1年単位でSFAを2社程度の受注を繰り返し、現在では16社、国内製薬企業の上位20社内の導入率は45%となり、株式会社ミュートスの社名、「MR-SFA」のブランド名については、医薬系のメディア等の注目もあり製薬企業においては知らない人はいないまでに成長をすることができたという。このことから株式会社ミュートスが製薬企業に当初から特化していた情報サービス会社でもなく、製薬企業の業務を熟知していた経営者・社員がいたのでもないことが伺える。情報サービス会社としてファーストユーザーから受注したSFAを成功事例として自社内でテンプレート化することを早期に着手し、SESビジネスの問題点を経営者自身が理解し、事業転換の必要性を熟知していたことがスピーディーに移行できたと言えるのではないだろうか。ファーストユーザーはオープンソースソフトウエアで開発をすることによる開発コストの低減化というメリットを享受し、株式会社ミュートスは開発を通じ、SFAの業務ノウハウを習得することで製薬企業に対する事業ドメインに特化するキッカケを得たということである。更に、横展開を通じ、コンサルティング〜追加開発・保守・メンテに至るまで株式会社ミュートスが自社内で請け負うと言う事が、社員の帰属意識に対する寄与と顧客への安心感に繋がり、好循環として継続していると言うのだ。更にSFAの導入により周辺業務の開発にも広がり、そこから更にテンプレートを増やすことで製薬企業向けの商材に繋げてきた。SFAについても導入先の顧客ごとにカスタマイズの要請を受け入れ、それが他社に対してもメリットがある機能であれば、開発ノウハウとして更に顧客に対する示唆に繋がり、加えて新しいディバイス等の登場によりSFAに関連する営業系支援システムを補完するサービスとして、プロモーション事業に進出することが出来、現在では製薬企業に特化したIT企業へと転身することができたという。プロモーション事業は過去においてもコンサルティング会社などが業として行っているが、製薬業界という業界の慣習・慣例・法令など、例えばMRの医師に対する訪問規制などが強化されることを鑑みてIT企業としてどの様に取り込めばいいかと時流を汲み取り、事業に落とし込むことで何をすべか、などが判ってくるというのだ。加えて、開発技術者などの現場情報や営業が訪問時に顧客と情報交換をする過程で経た情報、テストマーケティング時の情報など常に日々の状況を把握し、競業他社の取り込みやそのトレンドを汲み取ることにより、概ね対応すべき事項が見えくるという。経営者としてこれらのトレンドを理解して置く事が非常に重要であり、それを具現化することができる人材の採用・獲得・育成に繋げていくことになるため、短期的な視点ではなく、少なくとも中期的な視野で微調整を行いながら実行・断行する能力がやはり最低限必要であると指摘している。株式会社ミュートスの代表取締役 佐藤正晴氏が自社のケースを例にとって述べた様に、SES事業を専業として行っている情報サービス会社は参考にしてみてはどうだろうか。

株式会社ミュートスの佐藤正晴氏が創業者として継続している想い

株式会社ミュートスは大阪府で2006年に創業した医薬品メーカーに対する営業支援システムの開発会社としてトップシェアを有するベンチャー企業であります。代表取締役の佐藤正晴氏に創業者として、仕事ではなく意識してこだわっていることを直接聞いてみたので紹介する。

佐藤正晴氏は1985年に大学を卒業後、株式会社CSK(現SSCK)に入社をしたという、入社後は1年の技術者を経てその後、本社部門に異動となりCSKの創業者である故大川功氏の経営哲学について、多くの先輩社員から叩き込まれたという。その後経営管理部門やプループ会社の経営管理部門を経て、1995年に起きた阪神大震災の影響もあり、大阪の地に意識的に拘りを抱く様になり、2001年に故大川功氏が逝去されるタイミング前後で多くの上司や先輩社員が東京本社に転勤をして行く様子を見て、自分は東京に行くのではなく大阪で継続して仕事が出来れば良い、可能であればCSKグループで評価していただいたキャリアを活かして行きたいとの想いから、2001年でCSKを去る決断をしたという。

株式会社ミュートスは2006年に3名の社員からスタートした。創業メンバーである富山慎二・関国康を始め、多くの社員が集まりスタートした会社である。社員の個々の想いは様々で複雑であるということは、CSKの創業者である故大川功氏の経営哲学を叩き込まれた創業者の端くれとして、ミュートスにおいて自然と実践していることがあるという。それは、社員が結婚・子供が産まれた時に代表取締役の佐藤正晴氏は個人的に記念品を贈っているという、創業から既に約10期を過ぎるが、現在でも継続して行っている。佐藤正晴 氏曰く、「その理由については社員には誰にも話したことはない」という。
佐藤正晴氏との雑談の時にその理由について、聞くことができたので、備忘録を兼ねて紹介しておきたい。
「2006年に株式会社ミュートスを立ち上げた時に、多くの社員に集まって頂いた。当社を選択する理由もないのに、多くの社員が入社をしていただいた。ミュートスの社名は「伝説・神話」という意味です。後から入る仲間のために、また当社に係わりを持たれた方々のために永遠に語られる会社を創りたい、未来永劫発展する企業になりたい!との想いを社名にしています。その社員の想いに責任を感じることから、株式会社ミュートスに人生の船出を共にすることになる重要な人生のイベントである社員の「結婚・出産」の節目には個人的に記念品を贈る、と誓ったという。これはCSKの創業者である故大川功氏の経営哲学から学んでいた人生哲学であるという。残りどれくらいの時間の間、継続できるか判りかねるが、創業時の想いを大切にしたいと考えているという。

株式会社ミュートス
http://www.mythos-jp.com/

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